感情を細かく視ていく
見識の記事の中で他人軸として親の教えは、根深いことを記しています。
感情の感じ方、捉え方についても親からの影響は大きいです。
私の場合、感情だけで捉えて感情にまかせて表現してしまう偏った見方をするクセ、思考回路を質として持っていました。
自分自身をコントロ-ルする源が感情の為、他人の感情を拾ったり、土地からの念を拾ったりして感情にブレが生じて自分が自分でいられないことが多々、ありました。
では、この感情の捉え方は、どこから来たかですが霊識的観点から見ると全てではありませんが一つの捉え方として親から受け継いだものとして認識できます。
それは、どういうことかというと母親のお腹にいた時、母親の感情を拾ってあたかも自分の感情として捉え認識していったからです。この時に感じていた感情は、罪悪感や自分の未熟さからくるわかってもらえないモドカシさ見たいなものでした。
そのせいもあってか罪悪感や わかってもらえない怒りのような感情が湧きあがりやすかったです。
霊識を学ぶ前は、感情全てが全部自分の感情だと無意識的に思っていました。
ですので凄く感情に自分が踊らされて大変でした。
今、感じる感情は、他人のものなのか、土地から上がってきた念なのか、集合意識からなのか、神(人格神)に感応しているのか細かく視ていく必要があります。
私の場合ですが自分と他人、他の存在の感情を見分けるポイントは、言葉の表現や言い方から感じるのではなくエネルギ-的にどう感じるかが大切だと感じています。
例えば、今日、この人、自分を怒っているけど自分が悪くて怒っているのではなく怒りたいから怒っているんだというのがわかってきます。(ただ、イライラしているだけ。)
そういう他人の感情は、自分に取り込まなくて良いことがわかり、相手の感情は、相手の問題として認識できるようになる為、他人の感情に振り回されなくなり、気にならなくなってきます。
要するに、他人の感情は、他人が処理する、自分の感情は自分で処理すれば、良い訳です。
他人と自分は、切り離して感じる、考えることが必要だということです。
又、親からの影響という視点から考えると親から受け継いだ感情の感じ方から自立するという意味も含んでいます。
そうしないと他人軸で生きることになり自分主体の自分軸で生きることが出来なくなります。
親から自立できなくなります。
本当の自分の感情を深く知り、自分の感情を感じ、表現できるようになることが自立と言えるのではないでしょうか。